=昔は、高齢出産が可能だった=

前回の記事
凍結卵子1個あたりの妊娠率より

「1925年では
日本国内で45歳以上の女性
2万人が出産していました。

これが2015年では
1308人にまで減っています」

という記事。

1925年(大正14年)は
どのような時代であったか

大正12年に
●関東大震災があり

震災被害と混乱のさなか
国民は貧しく生活しておりました。

大正14年に
●治安維持法の交付

日本政府は
昭和20年の終戦まで

20年間も
「思想と言論」の自由はなく
弾圧と厳しい取り締まりをしていました。

現在の日本を考えると

まさに
激動の時代でした。

混乱と貧困の中でも
夫婦は、お互いを支え合い

『子を成して』
生活しておりました。

現在と
どちらが有利な状況でしょう?

=読者のみなさん、考えてみてください=

大正時代の西洋医学には
人工授精や体外受精はありません。

出産は
病院でするものではなく

自宅で
産婆さんが取り上げておりました。

主流は
東洋医学(鍼灸・漢方)で
難産や逆子はもとより

不孕(ふよう)や悪阻(おそ)など
多くの産婦人科を診ておりました。

※不孕(ふよう):不妊症のこと
※悪阻(おそ):つわりのこと

※参照
厚生労働省(人口動態統計)

◇大正14年に生まれた
こどもの数:208万6091人

◇平成30年に生まれた
こどもの数:91万8397人

明らかに
生まれたこどもの数が桁違いです。

これは
何を意味するのでしょうか考えください。

=昔は、高齢出産が可能だった理由=

東洋医学で治療をすると
49歳までは、高齢出産が可能です。

東洋医学の稀覯書(きこうしょ)
『 黄帝内径 』 上古天真論より

女子七歳、腎気盛。歯更髮長
二七而天癸至。任脈通、太衝脈盛

月事以時下故有子。三七、腎氣平均
故真牙生而長極。四七、筋骨堅髪長極

身體盛壯。五七、陽明脈衰面始焦髪始墮
六七、三陽脈衰於上面皆焦髪始白

七七、任脈虚。太衝脈衰少天癸竭
地道不通。故形壊而無子也

(漢文なので重要な部分を書き下し)

七七(49歳)任脈虚して
太衝脈衰えて少なくし

天癸つきて、地の道(月経)通わずして
故に形壊れて子うめ無くす也。

(現代簡訳)
49歳になると生殖能力が衰え
閉経になるため子供が産めなくなる

つまり
東洋医学で治療をしていれば
49歳までは、生殖能力が衰えず

閉経にならないため
子供が産めるということ。

これが
高齢出産できた理由です。

実際
当院でも、46歳にして自然妊娠。
その後、47歳で出産しております。

しかし
これには、条件が必要です。

薬剤による
卵巣刺激をすぐにやめること

そうでないと

自分の力で
『卵を育て』『排卵する』
能力が無くなくなり

閉経を早めることになります。
(病院側では否定すると思いますが)

長期間の薬剤投与で
卵巣を疲弊させたことにより
手遅れの患者さんもおりました。

それ以外は

東洋医学で
治療することにより

高齢出産は
現代でも可能であります。

〇江戸期の妊婦
〇明治期の妊婦

〇大正期の妊婦
〇昭和期の妊婦

〇平成期の妊婦
〇令和期の妊婦(予測も含めて)

これら違いの話も
興味があれば治療の際にお話します。


次回に続く

=高齢妊娠ができない理由は!=

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